《大破局》以降、ザルツ地方ではその終焉を元年とするルキスラ帝国暦という年号が使用されるようになり、現在ではそれが「大陸新暦」としてテラスティア大陸一般に広まっています。
当キャンペーンでは、キャンペーン開始時を大陸新暦310年と定め、物語を展開していきます。また、以下は当キャンペーンに関わる地域の出来事を簡単に表にしたものです。
魔法文明時代中期? | 前期フェンディル王国建国 | 魔法王フェンディルにより、フェンディル王国が築かれ、無類の大国となる。 |
魔法文明時代後期? | 《ジャーベル・ウォーキーの乱》発生 | 大魔術師ジャーベル・ウォーキーの反逆により前期フェンディル王国崩壊。詳細は不明。 |
大陸新暦元年 | 《大破局》の終焉 | 蛮族によって滅亡寸前まで追い込まれながらも、各地で人族が復旧・復興を始める。 |
293年 | 《虚音事変》発生 | セフィリア神聖王国首都アーレにて《虚音》が響き渡る。《虚人》の大量発生。 |
302年 | 《エレディア入植計画》実行 | 前王ソーラスとヴェゼンにより、エレディア大三角州への入植が開始される。 |
303年 | 《血の禊事件》発生 | エレディア大三角州のエルフたちが大量に犠牲となる事件が発生し、エルフらの部族とフェンディル王国、及びロシレッタの関係が崩壊する。 |
307年 | 双子姫、国王代理に | 前王ソーラスの死亡。コークル姫の即位が望まれるが、姫はこれを拒否。ラフェンサとの共同即位を訴える。 |
308~9年 | 《輪音事変》発生、終息 | ザルツ地方において《輪音事変》と呼ばれる一連の事件が発生。帝国、公国の王族や冒険者の活躍により終息。 |
310年 | 現在 | フェンディル王国は双子姫の統治の下、平和を維持している。 |
以下に、上の年表に記した出来事の詳細を記述していきます。
ザルツ地方最古の歴史を持つフェンディルは、古代魔法文明デュランディルの時代に礎が築かれました。当時の魔法王フェンディルによって建国され、現在に至るまでこの地を中心に反映と凋落を繰り返しています。
フェンディル王国の長い歴史は、大きくふたつに分けられます。その最初は、発祥から一度目の崩壊を迎えるまでの前期フェンディル王国です。
前期フェンディル王国は、古代魔法文明時代の中頃に興ったとされています。明確な時期が分かる歴史的資料はなく、また建国の魔法王に関する文献のほとんどは《大破局》で失われてしまっています。しかし、首都ディルクールのベースが魔法文明時代の遺跡であることや、魔法王自身が刻んだとされる建国碑が発見されたことなどから、この通説に異論を唱える者は殆どいません。
魔法文明時代には、魔術師が統治する王国が乱立していたと伝えられていますが、前期フェンディル王国は、広さと人口に抜きん出た強国だったと推測されています。魔法王フェンディルに関する碑石がザルツ西部の各所で発見されていることや、当時の王都の名残と考えられている遺跡群《遺跡と花の丘》の広大さが、その根拠です。
残念ながら記録が失われているため、前期フェンディル王国の歴史は詳らかではありません。それでも各地の伝説、伝承、遺跡などから推測するに、この国は長い時を概ね平和に過ごしてきたようです。当時の王都だったであろう《遺跡と花の丘》に年中花が咲き乱れる魔法がかけられていることは、国民が生活の向上と娯楽の追求に心を傾けていたことと、魔法王がそれに応えたことを証明すると考えられています。
それが成った背景には、建国王フェンディルが何らかの方法で延命し続け、前期フェンディル王国時代のすべてを自らが治め続けられた経緯があったのではないか、という学説があります。実際、どの年代の石碑にも建国王フェンディルの名が刻まれているため、これは有力な通説となりつつあります。当時の「優れた魔術師が覇権を握る」ことが当然だった風潮を考えれば、例えそれが生を冒涜する行為であったとしても、権威の誇示として、延命やその他の強大な魔法が用いられていたとしても不思議ではありません。
恐ろしいまでの大国であったフェンディルですが、この国にもまったく憂いが無かった分けでもないようです。前期フェンディル王国にとって最も大きな出来事のひとつとして、大魔術師ジャーベル・ウォーキーによる反逆があったことが確実視されています。ジャーベルは、広大な《魔力の森》を生み出した魔術師としても有名ですが、森以外にも様々な史跡を残しています。どれも強大な魔法が掛けられていて、現在に至るまで国土に爪痕を残すものばかりであることや、自身の名を刻んだ石碑を残している事から察するに、強烈な自意識で王に対する反逆的行為を行ったと考えられています。ジャーベルの反逆が、ただの個人的な反攻だったのか、前期フェンディル王国を揺るがす内乱だったのかは、完全に説が分かれており、誰も結論を出せていません。
謎に包まれた前期フェンディル王国ですが、ただ一つ確かな事は、現代、そして魔動機文明時代を遥かに凌ぐ魔法の技術を有しており、そしてそれらの研究の為に数多の実験が行われていたという事でしょう。事実、当時にとっては些細なものであったと推測される魔術の研究資料などでも、現代の研究者たちにとっては信じられない程の理論が展開されています。
一度は姿を消したフェンディル王国ですが、その名は魔動機文明時代にふたたび現れます。以降は後期フェンディル王国時代とされ、現在に至るまでの歴史を紡いできています。
再びフェンディル王国を興したのは、魔法王フェンディルの子孫たちです。彼らは魔動機文明時代の黎明期から国の再興に尽力し、他に先駆けて国家として復活することに成功します。抜きん出た国力は発展に発展を重ね、ザルツ地方の西半分からリグール河に至るまでを全て領有する大国へと成長していきます。
フェンディルの発展を支えたのは、魔法文明時代の遺産です。王家に遺されていた魔術書などを積極的に公開し、魔動機術を始めとする「万民が使える」新たな魔法研究にその知識を提供しました。これにより、フェンディルは当時の魔法研究の最先端を走ることになります。"ミストタワーズ"で錬金術が再発見されたことは、魔動機術のみならず、あらゆる研究分野でフェンディルがトップであったことを示唆しています。
王家の気質は、そのままフェンディル王国の気質となり、社会貢献と学術研究に熱心な国風が名を馳せました。誰もが平和で豊かに暮らせるようにと、魔動機械の開発と改良が日々進められ、量産体制も整えられました。他国に比べて多くのルーンフォークジェネレーターが造られていた形跡があるのも後期フェンディル王国の特徴であり、最先端を好んだ国風の表れでしょう。
魔動機文明時代中期には、「出陣の鐘は祝勝の鐘と同じ音」とまで言われ、"無敗"の二文字を冠せられた伝説の魔動機兵団も編制されましたが、この武力も他の人族国家に向けられたことはなく、魔物討伐や災害への対応に活躍したとされています。フェンディルは、それ程までに平和的であり、当時北方にあったエルフ領土への侵略をたくらんだ王を「人道にもとる」と嘆いた実弟が手を下してまで止めた、という逸話も伝えられています。フェンディルの人々は、「広大な領土は、武の力ではなく、王家の愛の力により得られたものだ」という言葉を、親から子へと伝え続けています。今なお、フェンディルの国と人を形容するに、まず「気さくで優しい」という言葉が使われます。
フェンディルの愛は、外交面でも有名でした。積極的な技術交換により、東隣の大国アウリカーナ共和国や、北方のさまざまな国々と友好関係を築いていました。大きな国力は正面からの武力衝突を未然に防ぎ、王家への国民の深い敬愛が、お人好しに付け入ろうとした工作を阻みました。フェンディルは実に長い間、平和と安息の日々を過ごしたのです。
そんなフェンディルの繁栄に終止符を打ったのが《大破局》でした。大規模な地殻変動の影響を大きく受けたため、国土の大半が破滅的な被害を受けました。混乱を極める中、オッド山脈の麓、現在"バルバロスの顎"と呼ばれる地域からの蛮族軍による奇襲攻撃も発生、主要な都市は次々に陥落。ついには王都ディルクールのみを残してすべての都市が制圧・破壊されてしまいました。
それでも最後まで諦めずに抵抗し続けたのが、当時の国王フレイオン・フェンディルだと言われています。彼はディルクールを拠点に蛮族軍を迎え撃ち、決死隊をルキスラ(この時には既にアウリカーナ共和国は崩壊していました)へ送り増援を求めました。兵力に乏しい状況ではありましたが、フレイオンの慧眼により、作戦はどれも矢継ぎ早に成功し、決死隊は無事にルキスラへと辿り着き、増援が到着するまでの間、ディルクールは魔動機兵団を全軍投入して蛮族軍の猛攻を凌ぎ切りました。
その陰には、当時の大臣であった人物の活躍があったとされています。大臣は表立って活躍する事は望まなかったものの、フレイオン王の側近として、彼の信頼を一心に受けていたと言われています。王城に住む一部の者にしか顔すら知られていない大臣でしたが、《大破局》の後、病床に伏していたフレイオン王は、彼について「あやつと共にあれば、まるで未来が手に取るように分かるのだ」と語りました。
とはいえ、被害も並大抵のものではありませんでした。フレイオン王は戦の後に病に伏すこととなり、魔動機兵団も激しい戦いの末に全滅してしまいました。戦いの中で魔動機兵の製造方法や工房は失われており、再編は不可能です。このような状態では蛮族との戦いを続けることは難しく、ほどなくしてフェンディル王国はルキスラ帝国に併呑されるに至りました。
この時フェンディルは、フレイオン王の息女ネファーナが若き女王として即位したばかりでしたが、ルキスラ皇帝アレウスⅠ世は彼女を強制的に退位させ、自分の息子へと嫁がせました。この事態に、王家を愛する国民は、「デュランディル時代から続く王族の姫君をフェンディルの地から去らせてしまった」と胸を痛め、王家の再興を固く誓いました。
以降、フェンディルの民たちは自国の復興と平和のために努力を続けました。そして200年の後、その悲願は果たされます。およそ100年前、ルキスラ帝国の皇位継承問題で勃発した内戦を機に、再度独立を果たしたのです。ネファーナの弟エレドランが遺した血を継ぐ新王が玉座につき、新生フェンディル王国は誕生したのでした。